松山電気軌道の廃線跡をたどろう!③ 江戸谷〜萱町

Teacher

 今回は、江戸谷停留所から萱町停留所までの廃線跡をたどりながら、各停留所付近の歴史をまとめます。

Takashi

 よろしくお願いします。

Teacher

 Takashi君、昭和22〔1947〕年に米軍が撮影した航空写真を見てください。江戸谷停留所から萱町停留所があった辺りです。

昭和22〔1947〕年に米軍が撮影した航空写真 ※ 国土地理院ホームページから引用
Takashi

 写真左下の谷になっているところが江戸谷でいいですか?

Teacher

 その通りです。現在の地図と比較してみましょう。

Takashi

 うわっ!全然違う。水田だったところがほとんど住宅になっている。

Teacher

 この辺りは昭和後期から平成にかけて都市開発が進んだところです。伊予鉄高浜線と予讃線の線路が走るルート及び三津街道の場所を確認すれば、自ずと松山電気軌道の廃線跡をたどることができますよ。それらを地図上に記してみてください。

Takashi

 先生、できました。

昭和22年米軍撮影の航空写真に予讃線・伊予鉄道の路線・三津街道を記したもの ※ 国土地理院ホームページ掲載の航空写真から作成
Teacher

 Takashi君、よくできました。松山電気軌道の電車が走っていた頃には予讃線はまだありませんので、赤線を消してください。そして、下の図を参考にして、松電の路線を緑色で書き入れてみてください。

松山電気軌道の路線と停留所の位置 ※ 国土地理院電子国土基本図から作成
Takashi

 できました!これでどうでしょう。

昭和22年米軍撮影の航空写真に伊予鉄高浜線、三津街道、松電の路線を記入したもの ※ 国土地理院ホームページ掲載の航空写真から作成
Teacher

 Takashi君、素晴らしい!作図をしてみて気付いたことはありますか?

Takashi

 昭和22〔1947〕年といえば松電が伊予鉄道に吸収合併されてから26年後ですけど、六軒家停留所から萱町停留所までの斜めの線がはっきりと残っているのですね。これは驚きでした。

Teacher

 そうでしょう。現在はこの時代よりも都市開発が進んで風景が一変してしまっていますが、それでも路線跡だと気付くポイントが残されている場所があります。これからそれらを確認していきましょう。

Takashi

 はい。

① 江戸谷停留所〜知新園前停留所付近

Teacher

 江戸谷停留所を出発して東進した電車は再び三津街道に戻り、知新園前停留所で停車しました。もう一度江戸谷停留所付近の現況を写真で確認しますね。

江戸谷停留所があった場所の現況
Teacher

 車が走っている道路が松電の電車の路線跡です。電車は、写真の手前から奥の方へ向かって走っていました。ちなみに、交差点を左折すると伊予鉄高浜線の西衣山駅がありますが、松電が営業していた頃はまだ駅はありません。

【参考】Wikipedia 西衣山駅

Teacher

 そして、車の側に青色のネットが見えると思います。ここは、前回見てもらった松電の橋脚跡と思われる煉瓦積みの建築物がある場所です。

松電の橋脚跡か?

【参考】ブログ「緑の丘の木下で…」廃線跡散策

Takashi

 これが本当に松電の橋脚跡だと確認できる資料があればいいのですが。

Teacher

 そうですね。私もさまざまな資料を探しているところですが、まだ確証には至っていません。そのことが分かる資料が発見されれば、その時に紹介しますね。

Takashi

 はい。お願いします。

Teacher

 次の写真は、知新園前停留所があった場所の現況を撮影したものです。松電の路線が再び三津街道に戻ってすぐのところです。

知新園前停留所があった場所〔改修中の建物付近か?〕
Teacher

 この広い道路が三津街道で、現在、この橋の下をJRの電車が走っています。写真奥の緑のフェンスとガードレールの右に三津街道につながる道路が見えますね。これが松電の廃線跡です。

Takashi

 先ほど確認した江戸谷停留所を出発してここに出てきたのですね。

Teacher

 そうです。松電の電車はこの場所で三津街道に戻り、東進しました。知新園を訪れた人々はこの辺りで電車を降り、この橋を渡って花卉や動物等を見に行ったのです。

松山電気軌道の路線と三津街道との合流地点。右の改装中の建物付近に知新園前停留所があった。写真正面の住宅顔が知新園跡と思われる。

【参考】伊予鉄道の歴史⑤ 松山電気軌道会社との対立Ⅲ ※ 知新園跡の現況写真を確認できます。

【参考】Pokkoriesオフィシャルサイト 松山電気軌道廃線跡調査01 概要 ※ 知新園の写真あり。

② 衣山停留所付近

Teacher

 下の写真は衣山停留所があった場所を撮影したものです。

衣山停留所跡の現況
Takashi

 ファミリーマートだ!ここで買い物をしたことがあります。ここはかつて停留所だったとは知りませんでした。

Teacher

 この場所を地図で見てみましょう。

Takashi

 伊予鉄高浜線の衣山駅のすぐ南側にありますね。ここでも乗客争奪戦が行われたのですか?

Teacher

 いいえ、衣山駅の開業は昭和2〔1927〕年ですから、松電が伊予鉄道に吸収合併された後のことです。

【参考】Wikipedia 衣山駅

Teacher

 衣山停留所を出発した電車は、三津街道に沿って東進し、六軒家停留所へ向かいました。

Takashi

 いよいよあの斜めの線のところですね。

③ 六軒家停留所付近

Teacher

 下の2枚の写真は、ハローワーク松山前に掲示されている三津街道の写真が貼付されたモニュメントを撮影したものです。松電の電車は、この前を東進して六軒家停留所へ向かいました。

ハローワーク松山前に掲示された三津街道の写真
Teacher

 六軒家停留所は現在の六軒家交差点付近にありました。そこから南東へ進行方向を変えたのですが、現在でもそれと分かる跡を確認することができます。Takashi君、下の地図を見て、その跡を見つけてみてください。

Takashi

 六軒家交差点付近から向きを変えたのですよね…。あっ、四電工の敷地内に斜めに走る空間があります。そこから南東の方に四電工から続くと思われる斜めの道路があります。もしかしてこれが松電の廃線跡ですか?

Teacher

 Takashi君、正解です。よく見つけました。この場所を昭和22〔1947〕年の航空写真で確認してみましょう。

昭和22〔1947〕年に米軍が撮影した航空写真から六軒家付近をトリミングしたもの ※ 国土地理院ホームページから引用
Takashi

 現在四電工がある場所に何か建物がありますね。あれは何でしょうか?

Teacher

 昭和22〔1947〕年頃にあったかどうかは確認していませんが、ここには六軒家車庫と変電所があったそうです。

【参考】トッポ作のホームページ 古町駅近辺に残る松電の遺構 ※ 六軒家車庫の写真がある。

【参考】トッポ作のホームページ 追捕 松山電気軌道 ※ 六軒家車庫が記載された図がある。

Takashi

 よくこの当時のことを記載した地図が残っていましたね!

Teacher

 そうですね。そして、宮前川と伊予鉄道高浜線および旧道後鉄道の路線を跨線橋を通して越え、萱町停留所へ向かったのです。宮前川と松電の路線が交差するところに、この橋脚の一部が残されていますよ。

伊予鉄古町駅北方に残る松電の橋脚
伊予鉄古町駅北方に残る松電の橋
Takashi

 先生、もしかして松電の路線と停留所を記した地図にある☆印はこの橋脚ですか?

松山電気軌道の路線と停留所の場所 ※ 国土地理院電子国土基本図から作成
Teacher

 その通りです。今回はここまでにしましょう。次回は、萱町停留所から榎前停留所まで解説しますね。

Takashi

 はい、楽しみにしています。

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