愛媛鉄道の軌道跡をたどろう⑦ 大洲市白滝から長浜にかけて残る愛媛鉄道の遺構
Takashi君、愛媛鉄道の軌道跡をたどる旅もいよいよ最終回です。今回は、大洲市白滝から終点の長浜にかけて残る愛媛鉄道の遺構を確認しましょう。
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今から103年前に築造されたものがほぼ当時の姿で本当に残されていましたね。白滝から長浜まではどんな遺構が残されているんだろう?
愛媛鉄道買収後の改軌工事とその後の都市開発によって、この区間はほとんど昔の姿を留めていません。しかし、愛媛鉄道時代の足跡を確認することはできますよ。今回は遺構⑨と⑩です。
⑨ 大越隧道
大越隧道は伊予出石駅の南側にあります。その話の前に、愛媛鉄道時代の駅の話をしておきましょう。
愛媛鉄道時代の駅?どの駅のことですか?
以前、大洲駅・八多喜駅・長浜町駅の場所が現在の予讃線の駅の場所とは異なることを確認しましたよね。実は、伊予白滝駅は場所と名称が、伊予出石駅は名称が現在と違っていたのです。
上の愛媛鉄道路線略図にも記載されていますね。
そうです。一つ一つ確認しましょう。
ア 伊予白滝駅と伊予出石駅
愛媛鉄道時代、伊予白滝駅は加屋駅という名称で、現在よりも300m程長浜寄りに駅舎がありました。
300m程長浜寄りであれば、加屋駅はどの位置にあったんだろう?
地図上に示してみましょう。ちょうど「肱川治水碑」の向かい側にあたります。
駅があった名残りはありますか?
はい。線路と道路との間がやや広くなっています。航空写真で確認しましょう。
本当だ!少し広くなっている場所があります。
現在の伊予白滝駅の場所に駅が移転したのは、昭和3〔1928〕年7月16日のことです。ちなみに、国鉄の路線に編入された昭和8〔1933〕年10月1日に現在の駅名に改称されました。
【参考】Wikipedia 伊予白滝駅
なるほど。駅の移転から93年経っていますけど、その足跡って確認できるものなんですね。
その通りです。言われなければ分かりませんけどね。伊予出石駅については年表風にまとめます。
伊予出石駅の歴史
- 大正 7〔1918〕年 2月14日、愛媛鉄道の上老松〔じょろまつ〕駅として開業
- 昭和 8〔1933〕年 10月1日、国有化により国鉄愛媛線となる
- 昭和10〔1935〕年 10月6日、軌間1,067mmに改軌〔下灘駅から伊予長浜駅までの路線開通に合わせる〕
- 昭和25〔1950〕年 4月1日、伊予出石駅に駅名改称〔当駅が登山口となる出石山の金山出石寺にちなんだ駅名〕
- 昭和46〔1971〕年 11月8日、無人化
【参考】Wikipedia 伊予出石駅
「上老松」というのは珍しい地名ですね。
そうですね。『長浜町誌』に地名の由来が記載されていますよ。
「上老松」地名の由来
川岸に老松があって、大洲と長浜の間を上り下りする川舟の目じるしとなっていた。長浜から見て上にある松なので、「上の老い松」と呼んでいたのが地名になったと言われる。
『長浜町誌』 ※ 下線及び太字は引用者による
なるほど。本当にあった松にちなんだ地名なのですね。
その通りです。愛媛鉄道の大越隧道は、上老松駅の南側にありました。
イ 大越隧道
残念ながら大越隧道の写真は撮影していません。下の写真を見れば、その理由が分かります。
大越隧道はどこにあるのですか?
これは大洲側坑口付近を撮影したものです。JRの線路を越えたところに隧道があるのですが、さらに竹藪のなかに入って行かなければならないので、危険なのです。一応、ズームを用いて坑口付近を撮影してみましたが、坑口を写すことはできませんでした。
これは全く分かりませんね。長浜側からは大越隧道に行けないのですか?
かつては行けたようなのですが、現在はフェンスで仕切られていて、隧道まで行くことができませんでした。長浜側から大越隧道方面を撮影しましたので見てください。
なるほど。こちらも樹木を分け入って進まなければならないのですね。
そうなのです。大洲市役所長浜支所に一度相談してみようとは考えています。かつて大越隧道を探索された方がブログにまとめられているので、そちらで大越隧道の姿を確認しましょう。
大越隧道も他の隧道や煉瓦アーチ橋と同様、坑口のアーチ部分が綺麗に残されていますね。煉瓦が5重に巻かれています。
できることなら、自分の目で確認したいですね。さて、終点の長浜町駅付近を見ていきましょう。
⑩ 旧長浜町駅付近
以前紹介した通り、愛媛鉄道の長浜町駅は現在のJR伊予長浜駅よりも西、岸本石油付近にありました。地図で岸本石油の位置を確認しましょう。
JR予讃線の線路は住吉神社下のトンネルを通って伊予長浜駅へ続いています。愛媛鉄道の路線のどの辺りから付け替えが行われたんだろう?
JR予讃線の角度から考えると、山際踏切の南側付近ではないかと考えられます。
山際踏切はどの辺りにあるのですか?
地図で位置を確認しましょう。
予讃線と大洲長浜線がちょうど分かれていますね。
踏切付近の風景を撮影しましたので見てください。
愛媛鉄道の線路は、この辺りから現在の大洲長浜線を真っ直ぐ北進したのですね。
その通りです。明治29〔1896〕年9月に建立された住吉神社の注連石の前を通過し、旧長浜町駅まで続いたのです。
ようやくここまで辿り着きましたね。
大正7〔1918〕年から昭和8〔1933〕年まで、たった15年間という短い間でしたが、大洲-長浜間を駆け抜け、人や物資を運搬していた鉄道があったことは、歴史的事実です。この歴史を後世まで語り継ぎたいですね。
はい。
講義の最後に、旧長浜町駅を撮影した写真を見ておきましょう。
勉強になりました。ありがとうございました。