八幡浜を拠点に活動した芸術家 塩崎宇宙 作品集


皆さんは塩崎宇宙〔しおざき うちゅう、明治44(1911)年〜平成2(1990)年〕という名前を聞いたことがありますか?彼は78年の生涯を彫刻の制作に捧げた人物で、「宇宙作」という文字が刻まれた作品の多くが愛媛県内各地に建立されています。


昭和58(1983)年10月9日に放送された『えひめ 人 その風土』の中で、作品制作についての自身の心構えについて、彼は次のように話しています。
作品は出来上がるまで不安がつきまとう。熱中している時は、白布を除くとやっぱり良い感じが出ていますね。雑念がある時は前へ進みません。これからも無心になり、心を動かされるものを作りたい。

本稿を通して、塩崎宇宙が制作した作品とその制作意図を知っていただけたら幸いです。まず最初に、彼の略歴をまとめます。
【略歴】
- 明治44(1911)年、現在の大阪市西区港堀江通りで生まれる。
- 小学校5年生の時、図画の女性教師の感化で美術に関心を持ち始める。
- 昭和2(1927)年、東京美術学校〔現 東京芸術大学〕に入学し、彫刻を朝倉文夫・北村西望・今村重三郎らに学ぶ。
- 昭和6(1931)年、現在の大阪城天守閣〔3代目〕の金の鯱鉾四対八体を制作する。
- 昭和18(1943)年、妻の故郷である八幡浜に移住。
- 昭和20(1945)年、教師の職を辞し、八幡浜を拠点として本格的に彫塑に没入。
- 昭和27(1952)年 大洲城山公園に建立される中江藤樹像を制作。
- 昭和28(1953)年、四国国体を記念して国体記念像を制作。
- 以後、「青少年の成長と平和」をモチーフに創作活動を続ける。代表作に「野口英世博士像」「天文犬チロ像」「植村直己レリーフ」などがある。
- 平成2(1990)年、逝去。

大阪城の鯱鉾も手掛けていたのですね!それでは、彼が制作した作品を制作順に紹介しますね。
昭和6(1931)年
⭕️ 大阪城天守閣の金の鯱鉾四対八体





【アクセス】
昭和25(1950)年
⭕️ 八幡浜市八幡神社の平和の塔・平和の鳩:11月3日建立



【参考】「総鎮守八幡神社」ホームページ
【アクセス】
昭和27(1952)年
⭕️ 大洲城 城山公園の中江藤樹像:11月再建
【エピソード】

像を制作する前に滋賀県の藤樹の故郷に1週間寝泊まりし、藤樹の人間を研究しつつ構想を練ったそうです。この時の制作意図を『えひめ 人 その風土』の中で次のように語っています。
「藤樹は43歳で亡くなっており、武芸百般に秀れ、なかでも馬術は得意だったなどを踏まえて制作したんですよ。」

「どこまでも史実に忠実な作品に仕上げなければ納得できない。」作品に誠実に向き合う彼の真摯な姿勢は素晴らしいですね。
【参考】大洲城公式ウェブサイト
【アクセス】
⭕️ 今治市立日吉中学校の野口英世博士之像:11月3日建立
【参考】今治市立日吉中学校ホームページ
【アクセス】
昭和32(1957)年
⭕️ 八幡浜市立愛宕中学校の野口英世博士之像:8月建立

【参考】八幡浜市立愛宕中学校ホームページ
【アクセス】
昭和33(1958)年
⭕️ 大洲市立大洲小学校の藤樹先生少年像:4月21日建立

【参考】大洲市立大洲小学校ホームページ
【アクセス】
⭕️ 大洲市立喜多小学校の中江藤樹像:7月11日建立

【参考】大洲市立喜多小学校ホームページ
【アクセス】
⭕️ 大洲市立大成小学校の中江藤樹先生像:9月吉日建立
【アクセス】
昭和35(1960)年
⭕️ 松山市立堀江小学校の小林栄と野口英世像:12月10日建立

【参考】松山市立堀江小学校ホームページ
【アクセス】
昭和36(1961)年
⭕️ 愛媛県立大洲高等学校 天心園の中江藤樹青年像:1月28日建立

【参考】愛媛県立大洲高等学校ホームページ
【アクセス】
⭕️ 宇和島市立鶴島小学校の野口博士少年像:2月建立

【参考①】宇和島市立鶴島小学校ホームページ
【参考②】ブログ「気功整体師の奮戦記」野口英世博士少年像の謎(鶴島小学校)
【アクセス】
昭和37(1962)年
⭕️ 八幡浜市四国山山頂の弘法大師修行像

【アクセス】
昭和38(1963)年
⭕️ 大洲市立大洲小学校の野口英世像:9月建立

【参考】大洲市立大洲小学校ホームページ
【アクセス】
昭和40(1965)年
⭕️ 長浜町立青島小学校の野口英世博士少年像:3月15日建立
【アクセス】
⭕️ 大阪道頓堀ドン・キホーテ前のフェアープレイ像





※ かつてはスポーツタカハシ前であったが、店舗移転後にドン・キホーテになった。
【アクセス】
昭和41(1966)年
⭕️ 南久米公民館〔大洲市〕の村上重生翁像:3月27日建立



【アクセス】
⭕️ 大洲市民会館の西田満太郎翁像:4月建立



【アクセス】
昭和42(1967)年
⭕️ 伊方町立九町小学校の野口英世博士少年像:2月建立


【参考①】伊方町立九町小学校ホームページ
【参考②】ブログ「愛媛の伝承文化」講演会 星になったチロと塩崎宇宙さん
【アクセス】
⭕️ 伊方町立伊方中学校の野口博士母子像:2月建立
【参考】伊方町立伊方中学校ホームページ
【アクセス】
昭和44(1969)年
⭕️ 伊方町立二見小学校の野口英世像:3月建立

【アクセス】
昭和46(1971)年
⭕️ 藤山健康文化公園の住村博士像:9月建立




【人物】
大正14年~昭和45年(1925~1970)船長。大正14年4月15日、越智郡大井村宮脇(現大西町)に生まれる。今治中学校を経て神戸高等商船学校へ進み、昭和23年卒業、昭和28年甲種船長免許を取り、外国航路の船長を歴任する。同45年2月、第一中央汽船の「かりふぉるにあ丸」の船長としてロサンゼルスから鉱石を積んで和歌山に向う途中、9日午後10時10分ごろ千葉県野島沖東方360キロメートルで暴風雨に遭い、船体に亀裂を生じて浸水し、船体が傾斜したのと激浪にはばまれてままならず、船員6人が波にのまれてしまった。翌10日、救援の外国船が到着して、残り22人と漂流中の二人が救助された。住村船長は脱出を断り、船橋から手を振りつつ、船と運命をともにした。その強い責任感は船員魂の権化とたたえられた。昭和45年2月10日、44歳で死去。郷里宮脇に胸像が建てられている。
『愛媛県史 人物』
【参考①】Wikipedia かりふぉるにあ丸
【参考②】いよ観ねっと 藤山健康文化公園
【アクセス】
昭和53(1978)年
⭕️ 金山出石寺の御手びきの鹿銅像:6月吉日建立








【お手びきの鹿銅像由来】

【「宇宙作」の文字も刻まれています】

【参考】HP 金山出石寺へようこそ
【アクセス】
昭和56(1981)年
⭕️ 太陽石油四国事業所の青木繁吉・青木良作像

【参考】太陽石油ホームページ 四国事業所
【アクセス】
昭和60(1985)年
⭕️ 大洲市役所前の愛と信頼像:6月22日建立



※ 大洲青年会議所創立30周年を記念して、塩崎宇宙に制作を依頼。ただし、「宇宙作」の文字が刻まれておりませんでした。
【アクセス】

いかがでしたか。このほか、「星のチロ像」、「植村直己レリーフ」など他県や海外にも作品が多数存在しています。「この像も塩崎宇宙氏の作品だ。」というのが愛媛県内にありましたら、お知らせください。取材・撮影に参ります。
【姉妹編】二宮金次郎像探索の旅 番外編Part.1 この人も銅像に!取材中見つけた歴史上の人物
【参考文献】『愛媛 人 その風土』(テレビ愛媛刊)、『佐田岬民俗ノート1』(伊方町 町見郷土館刊)