伊予鉄道高浜線 旧山西駅及び廃線跡をたどろう!
皆さん、伊予鉄道高浜線の山西駅は、最初は別の場所にあったことはご存知ですか?まず最初に現在の山西駅の位置をGoogle Mapで確認しましょう。
山西駅は新田高校の北北西方向にありますよね。しかし、最初の山西駅は新田高校の東北方にあったのです。JTBパブリッシングが発行している『伊予鉄が走る街 今昔』に駅の変遷が記載されているので、引用します。
山西駅
地峡をさらに西に進むと、JR予讃線は坂を上って築堤線になり、北に曲がって、高浜線をまたぎ越す。地峡を抜けると、線路は再び平野部に入る。山西駅は昭和2年(1927)11月1日の開設である。
駅の最初の位置は、現在の新田高校の東北方であった。高浜線が開通した時の経路は、古三津集落を避けてS字曲線を描いていた。電化工事に際して、S字曲線を直線化する工事が行われ、昭和6年(1931)5月1日、山西駅はそれまでよりも北方の現位置に移った。山西駅は、島式プラットフォーム1面2線の構造で、プラットフォームの北端に小さな駅舎がのっている。
戦後の単線時代で、電車が30分毎運転だった時は、山西で行違いが行われていた。
※ 太字及び黄色マークは引用者による。
この記述から確認すべきポイントは次の2点です。
❶ 高浜線が開通した時の経路はS字曲線を描いていた。
❷ 旧路線の存在期間は昭和2年11月から昭和6年5月までのたった3年半であった。
どのようにS字曲線を描いていたのでしょうか。『今昔マップ on the web』から「昭和3年測図30年資修 2万5000分の1地形図三津濱」と現在の地図を比較してみましょう。
いかがですか。今昔マップの地図を参考にして、地理院地図に旧山西駅と旧路線を追加してみました。ご覧ください。
実際に廃線跡をたどって見ましたが、廃線から93年が経過しており、ここが廃線跡だと分かる場所はほんの少ししかありませんでした。では、わずかに残る廃線跡を紹介しましょう。
廃線跡① 現山西駅付近
まず最初に現山西駅付近から始めましょう。ここが廃線跡としては一番分かりやすい場所です。写真をご覧ください。
これは山西駅の自転車置き場を撮影したもので、左側に山西駅のプラットホームが見えます。自転車置き場の屋根の向きをよく見てください。プラットホームに並行ではなく、現在の路線に突き刺さるように設置されています。これがかつての路線の名残です。別の方向からも撮影しましたので、ご覧ください。
いかがですか。自転車置き場の向きがかつての路線の跡です。昭和2年11月から昭和6年5月までの間、三津駅を出発した電車はこのルートを走り、旧山西駅に向かったのです。もう一度、Google Mapをご覧ください。
航空写真をズームアップして、自転車置き場の屋根が大きく見えるように操作してください。かつての路線がイメージできますよ。ちなみに自転車置き場から東方を見てみると、こんな風景が目前に現れます。
真ん中に住居があって、道はY字路になっています。『今昔マップ on the web』の古地図を見てみると、線路は住宅がある所に敷設されていたようです。
廃線跡② 現山西駅から旧山西駅までの区間
旧山西駅までの区間は宅地開発が進んでおり、廃線跡だと明確に分かる場所はありません。ちょうど廃線跡と重なる所に斜めの壁を見つけました。
住宅前の道路に対して、左の住居の壁がやや斜めになっています。別の場所にもそれらしきものがありました。
これらは、古地図と比較した私の想像に過ぎません。確証がないところにもどかしさを感じます。
廃線跡③ 旧山西駅跡
この写真は新田青雲中等教育学校側から北方向を撮影したもので、中央の線路は現在の伊予鉄道高浜線です。線路奥に自動車が数台駐車している空き地があり、そこが旧山西駅跡です。言われなければかつて駅があったとは全く分かりませんね。この場所から南東方向を撮影したものが次の写真です。
古地図と比較して推察できることは、道路左側に見えるガードレールの向きがかつての路線の向きと同じだということのみです。かつての路線は駐車場の方向に走っていたようです。
廃線跡④ 新田青雲中等教育学校から東方
この箇所の廃線跡は生活道路に転用されているので、現山西駅付近に次いで分かりやすい場所です。写真で確認していきましょう。
上の写真は、マサウミ山西公園から東方を撮影したもので、生活道路に転用された廃線跡です。マサウミ山西公園の位置をGoogle Mapで確認しましょう。
この道路は中津商店まで続きます。中津商店から西向きに生活道路を撮影しましたのでご覧ください。
伊予鉄道の電車はここを通過して現在の高浜線の線路に合流し、衣山駅へ向かいました〔西衣山駅は昭和43(1968)年開業〕。
マンションと中津商店が建っている所が廃線跡です。
いかがでしたか。今回は旧山西駅と廃線跡を紹介しました。はっきりと分からない所が多くて恐縮ですが、ここも伊予鉄道の歴史の一端を知ることができる貴重な場所です。当ブログの伊予鉄道に関する記事を添付しますので、合わせてご一読ください。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
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