自然災害伝承碑を訪ねて…⑨ 昭和45年8月21日に発生した水害の記憶・伊予市双海町

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 皆さんは上の地図記号を見たことがありますか?この地図記号は「自然災害伝承碑」といい、国土地理院が令和元年6月19日から地理院地図上に公開を始めたものです。「自然災害伝承碑」とは何か、国土地理院ホームページから引用します。

自然災害伝承碑」について

◆ 過去に発生した津波、洪水、火山災害、土砂災害等の自然災害に係る事柄(災害の様相や被害の状況など)が記載されている石碑やモニュメント。※ これまでは、概念的に記念碑(ある出来事や人の功績などを記念して建てられた碑やモニュメント)に含まれていました。

◆ これら自然災害伝承碑は、当時の被災状況を伝えると同時に、当時の被災場所に建てられていることが多く、それらを地図を通じて伝えることは、地域住民による防災意識の向上に役立つものと期待されます。

『国土地理院ホームページ』より

【参考】国土地理院ホームページ 「自然災害伝承碑」について

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 この「自然災害伝承碑」の記載は国土地理院が全国の自治体と連携して進めていますが、各自治体からの申請があったものに限られています。そのため、記載されている数はほんの一部に過ぎません。そこで、取材中に撮影した自然災害伝承碑と罹災状況について、当ブログにて紹介していきたいと思います。

 今回は、昭和45年8月に発生した水害の記憶を伝える自然災害伝承碑を二つ紹介します。

昭和45年8月発生、洪水の記憶 〜伊予市双海町探訪〜

〔左〕伊予市双海町串にある災害復旧碑           〔右〕伊予市双海町大久保にある災害復旧碑
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 この二つの災害復旧碑は、ともに伊予市双海町にあります。碑が建てられている場所を地図で確認しましょう。

自然災害伝承碑が建立されている場所〔星印〕 ※ 国土地理院電子国土基本図から作成
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 豊田川流域に建てられているのが写真左の石碑、富岡川流域に建てられているのが写真右側の石碑です。これらはともに、昭和45年8月に襲来した台風10号による自然災害の記憶を現在に伝えてくれています。まず最初に、台風10号の特徴についてまとめます。

① 昭和45年台風10号の特徴

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 この台風は、昭和45年8月15日9時にググアン島東南の海上で発生した熱帯低気圧が発達したもので、翌日の15時、マウグ島の西南西で台風10号となり、国際名としてアニータと名付けられました。台風の進路を見てみましょう。

台風10号の進路図 ※ Wikipediaから引用〔パブリック・ドメイン〕
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 高知県西部から愛媛県を北上し、山口県と広島県の県境付近を通過して日本海へ抜けていますね。台風10号の規模は次の通りです。

  • 中心気圧:910hPa
  • 最大風速:55m/S〔日気象庁解析〕
  • 最大風速:135kt 〔米海軍解析〕
  • 死傷者数:死者23名、負傷者556名
  • 被害地域:四国、中国地方

【参考】Wikipedia 昭和45年台風第10号

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 Wikipediaの記述によれば、台風10号は西日本に被害をもたらし、特に高知県での被害が大きかったことから「土佐湾台風」と呼ばれたそうです。では、伊予市双海町の被害はどのようなものだったのでしょうか。

② 伊予市双海町の罹災状況 〜『双海町誌 改訂版』の記述から〜

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 『双海町誌 改訂版』にその罹災状況が記載されています。引用しますね。

昭和四十五年の豪雨

 1970(昭和45)年8月21日、南太平洋で発生した台風10号が北上して、午前10時40分ごろに本町を通過した。このとき松山地方気象台では、中心気圧970.9ミリバール、雨量は125ミリを計測した。なお町内の山間部では約320ミリの雨量といわれた。高潮で豊田港と上灘港付近に被害を受け、上灘川は支流を合わせ、20か所以上が決壊した。特に富岡川と豊田川は惨状を極め、道路・水田ともに一面河原と化した。〔以下略〕

『双海町誌 改訂版』 ※ 太字・下線及び着色は引用者による。なお、数字はアラビア数字で表記した。
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 「道路・水田ともに一面河原と化した」というのはもの凄い状況ですね。『双海町誌』にはその時の様子を撮影した写真が掲載されています。ここでもう一度、前掲の地図で災害が発生した場所を確認しましょう。

自然災害伝承碑が建立されている場所〔星印〕 ※ 国土地理院電子国土基本図から作成
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 『双海町誌』に「台風10号被害状況調」という表が掲載されています。ブログ用に再作成しましたのでご覧ください。

※ 『双海町誌』P.19〜20掲載の表をもとに作成
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 同日、双海町役場に「双海町災害対策本部」が設置されましたが、町長以下全職員が復旧工事の測量や国と県への申請処理に忙殺されたそうです。そして、翌年から本格的な復旧工事が始まり、約3年後に竣工しました。今回紹介した災害復旧碑は、このことを記録したものです。

③ 復旧の記録 〜碑文を読み取る〜

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 まず最初に、双海町串にある災害復旧碑の碑文を確認しましょう。

伊予市双海町串にある災害復旧碑
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 碑の裏面に次の文が刻まれています。『双海町誌』から引用します。

災害復旧碑〔双海町串〕の碑文

 昭和45年8月21日、台風10号により未曾有の豪雨に見舞われ、豊田川流域は原形を留めぬ大災害を受く。直ちに国県町の強力に依り復旧に着手、1億2,500万円の巨費を投じ部落民の悲願茲に完成す。昭和48年8月吉日奥東部落

『双海町誌』 ※ 句読点を追加し、漢数字をアラビア数字に変更した
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 復旧費1億2,500万円というのはものすごい額ですね。この復旧工事により、コンクリート三方張りによる水路状の河川となったそうです。また、環境に配慮し安全面にも重視した河川にしてほしいという地元住民からの強い要望があり、平成10年から12年にかけて再改修が行われました。災害復旧碑付近の現況を撮影して来ましたので、ご覧ください。

災害復旧碑付近の風景。碑の後ろを豊田川が流れる。
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 次に、双海町大久保にある災害復旧碑の碑文を確認しましょう。

伊予市双海町大久保にある災害復旧碑
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 こちらについては碑文を撮影していますので、ご覧ください。

伊予市双海町大久保にある災害復旧碑の碑文

災害復旧碑〔双海町大久保〕の碑文

 昭和45年8月台風10号により黒山を中心に500○◯◯◯集中豪雨で山林崩壊、河川氾濫、田畑及道路・農用施設○○○◯激甚災害を蒙る。昭和46年2月、国補の害◯川着手。昭和48年4月吉日工事完了。

 ※ 碑文中の◯は解読できていない文字を指す。

施工した会社名も刻まれていました。
災害復旧碑付近の風景。集会所の建物が写真左に見える。
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 どちらも昭和48年に復旧工事が完了しています。昨今、大雨による風水害が多発する中、これらの地域ではどのような対策をしておくべきでしょうか。考えておく必要がありますね。


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 今回は以上です。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。内容についてご意見いただけるとありがたいです。

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