自然災害伝承碑を訪ねて…⑦ 明治19年9月24日発生、土砂災害の記憶・大洲市長浜町須沢

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 皆さんは上の地図記号を見たことがありますか?この地図記号は「自然災害伝承碑」といい、国土地理院が令和元年6月19日から地理院地図上に公開を始めたものです。「自然災害伝承碑」とは何か、国土地理院ホームページから引用します。

自然災害伝承碑」について

◆ 過去に発生した津波、洪水、火山災害、土砂災害等の自然災害に係る事柄(災害の様相や被害の状況など)が記載されている石碑やモニュメント。※ これまでは、概念的に記念碑(ある出来事や人の功績などを記念して建てられた碑やモニュメント)に含まれていました。

◆ これら自然災害伝承碑は、当時の被災状況を伝えると同時に、当時の被災場所に建てられていることが多く、それらを地図を通じて伝えることは、地域住民による防災意識の向上に役立つものと期待されます。

『国土地理院ホームページ』より

【参考】国土地理院ホームページ 「自然災害伝承碑」について

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 この「自然災害伝承碑」の記載は国土地理院が全国の自治体と連携して進めていますが、各自治体からの申請があったものに限られています。そのため、記載されている数はほんの一部に過ぎません。そこで、取材中に撮影した自然災害伝承碑と罹災状況について、当ブログにて紹介していきたいと思います。

 今回は、明治19年9月24日に発生した土砂災害の記憶を伝える自然災害伝承碑を紹介します。

明治19年9月24日発生、土砂災害の記憶 〜大洲市長浜町須沢探訪〜

須沢追悼碑
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 上の写真は、明治19年9月24日に発生した土砂災害の記憶を現在に伝える自然災害伝承碑で、「須沢追悼碑」と名付けられています。この碑が建てられている場所を地図で確認しましょう。

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 「須沢追悼碑」は、肱川河口の新長浜大橋を渡って西に国道378号を海沿いに約3.2km走行し、「日本エビネ園」の看板がある道から入って須沢川沿いの小道を上った行きどまりにあります。この碑が伝える土砂災害とはどのようなものだったのでしょうか。

① 罹災状況

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 『四国災害アーカイブス』に災害の概要がいくつかまとめられています。引用しましょう。

明治19年の水害

 明治19年(1886)9月24日午後7時、風雨がますます烈しくなり、午後11時に櫛生村須沢の奥の谷が100余間崩壊し、山麓の人家が埋没、流失した。堆積は最大72尺に及んだ。須沢での被害は、死者39人(男22人、女17人)、家屋の流失7戸、埋没43戸、倒壊19戸、半壊3戸、牛埋没11頭、田の流亡1町4反余、船の流失6艘等に及んだ。なお、この災害で亡くなった39人のうち、屍が掘り出されたのは12人にすぎず、27人は不明である。

『四国災害アーカイブス』明治19年の水害   ※ 太字及び下線は引用者による。

【参考】「四国災害アーカイブス」明治19年の水害

明治19年の櫛生村の地すべり

 明治19年(1886)9月24日、長浜町櫛生村須沢地区で地すべりが起こり、須沢川の谷に面した山腹が一気に崩壊し、死者39人、家屋の埋没72戸、田畑の流失7.6haという大被害を引き起こした。

『四国災害アーカイブス』明治19年の櫛生村の地すべり  ※ 太字及び下線は引用者による。

【参考】「四国災害アーカイブス」明治19年の櫛生村の地すべり

明治19年9月の櫛生村災害

 明治19年(1886)9月24日、台風により肱川、その他河川は氾濫し、流域の各村で家屋流失、田畑の水没、橋の破壊等被害は甚大であった。その中でも櫛生(くしう)村須沢の被害は特にひどかった。この日午後11時頃、須沢川の水源地「谷の奥」の山腹が約270mにわたって崩壊し、山すその人家が埋没、流失した。須沢での被害は、死者39人、家屋の埋没43戸、倒壊19戸、流失7戸、半壊3戸、田畑の流失約8.6ha、船の流失6隻、牛の埋没11頭等に及んだ。(「櫛生小沿革誌」による)

『四国災害アーカイブス』明治19年9月の櫛生村災害  ※ 太字及び下線は引用者による。

【参考】「四国災害アーカイブス」明治19年9月の櫛生村災害

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 「山腹が一気に崩壊」「山腹が約270mにわたって崩壊」という表現から、被害の甚大さが想像できますね。こうした地すべりが発生した要因は、9月に襲来した台風による豪雨にあるようです。この時の台風の特徴について、『愛媛県史 社会経済6 社会 』は次のように記載しています。

明治19年の風水害

 明治19年9月10日に襲来した台風は、九州の南東部より豊後水道を経て、広島県西方を通過し日本海に出たもので、本県はその直撃を受けた。そのうえ、9月22日から長雨となり、25日にいたってようやく回復したが、各地で河川が増水し、立岩川(風早郡)、石手川(温泉郡)の堤防が決壊したほか、肱川がはん濫し、大被害をこうむった。

『愛媛県史 社会経済6 社会』第1章 明治期の防災・救助雨より  ※ 太字及び下線は引用者による。
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 この時の長浜町須沢付近の雨量に関する情報は得られていませんが、一般社団法人 中国建設弘済会ホームページに掲載されている『明治19年周防大島郷の坪災害』に下関と広島における9月22日〜24日の雨量の変化を示す表が掲載されていました。このデータから須沢付近の雨量を想像しましょう。

一般社団法人 中国建設弘済会ホームページ『明治19年周防大島郷の坪災害』より作成〔元データ出典は気象庁HP「過去の気象データ」〕

【参考】一般社団法人 中国建設弘済会ホームページ『明治19年周防大島 郷の坪災害』 ※ 9月24日午後2時の天気図も掲載されています。

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 9月23日から24日にかけての雨量の増加はものすごいですね。これでは地盤が緩んでしまっても仕方がないように思えます。こうして前述の土砂災害が発生したわけですが、なぜ山腹が一気に崩壊してしまったのでしょうか?このことを理解するためには、須沢地区の地質について知らなければなりません。

② 土砂災害と地質

ア.愛媛県の土砂災害危険箇所状況

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 愛媛県ホームページに、土木部河川港湾局砂防課が作成した「愛媛県と全国の土砂災害危険箇所状況〔平成17年3月31日現在〕」が掲載されています。16年前のデータですが、見てみましょう。

愛媛県ホームページ掲載の表をもとに作成
  • ランク1:保全対象人家5戸以上等の箇所
  • ランク2:保全対象人家1〜4戸の箇所
  • ランク3:保全対象人家はないが、今後新規の住宅立地等が見込まれる箇所
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 ちなみに、危険箇所を市町別に見てみると、次のようになります。

愛媛県ホームページ掲載の表をもとに作成
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 こうして比較してみると、大洲市は土砂災害が比較的発生しやすい土地であるといえるのではないでしょうか。それでは次に、土砂災害と地質との関係についてまとめます。

イ.土砂災害と地質

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 「地すべり」とは何でしょうか?昭和33年に制定された「地すべり等防止法」の第2条において、その定義が記されています。

 「地すべりとは、土地の一部が地下水等に起因してすべる現象又はこれに伴って移動する現象をいう。」

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 なお、公益社団法人日本地すべり学会は、この定義を「法律上行政などで主に使用される狭義の地すべり」としたうえで、学会における地すべりの定義を「主に研究用に使用される広義の地すべり」としています。学会のホームページから引用しましょう。

日本地すべり学会による「地すべり」の定義

 日本地すべり学会では海外で使用されている「Landslide」と同様に「岩、土あるいはその混合物の斜面下降運動」と定義し、急傾斜地の崩壊や土石流、落石など斜面の土砂災害を総括した意味で使用しています。

「公益社団法人 日本地すべり学会ホームページ」地すべりとは?

【参考】「公益社団法人 日本地すべり学会ホームページ」地すべりとは? 

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 『愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)』によれば、地すべりはその地質条件の違いによって三種類に分けられるそうです。

  • 第三紀層地すべり:新生代第三紀に堆積した比較的軟かい地質の所に起こる地すべり
  • 破砕帯地すべり :断層に沿う地域など岩石が著しい破砕作用を受けた地域に発生する地すべり
  • 温泉地すべり  :温泉の湧き出る地域の岩石が変質した部分に起こる地すべり
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 同書では、愛媛県の地すべりについて次のように記載しています。

愛媛の地すべり地帯

 愛媛県に分布する地すべりは破砕帯地すべりに分類され、地すべりの危険がある所の四分の三は中央構造線の南側にひろがる三波川帯の地域に集中している。

『愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)』 ※ 太字及び文字の着色は引用者による。
地質境界としての中央構造線とその周囲の地層・岩石〔出典:産総研地質調査総合センターウェブサイト〕

【参考】産総研地質調査総合センターウェブサイト

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 Google mapに大洲市須沢の位置を示しますので、上の画像と比較してみましょう。須沢が三波川帯にあることがよく分かります。

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 では、三波川帯の地質はどのような特徴を有しているのでしょうか?

三波川帯を構成する岩石

 三波川帯を構成する岩石は、緑色片岩や黒色片岩などの結晶片岩類を主としており、これらの岩石はもろく、扁平な板状あるいは碁石状の岩片になりやすい。特に、黒色片岩の岩片は表面が極めてなめらかで摩擦係数がごく小さいため、非常にすべりやすい状態をつくり出している。〔中略〕

 地すべり地帯では、降雨があると運動が活発化する。突然はげしい運動をおこす地すべりを急性型地すべりとよび、絶えず継続的に土地が動く地すべりを慢性型地すべりとよんでいる。

『愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)』 ※ 太字、文字着色及び下線は引用者による
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 同書は、須沢地区で起こった土砂災害を急性型地すべりの典型的な例だと断定しています。つまり、須沢地区の岩石はもろく、非常に滑りやすい状態であるため、降雨があると地すべり運動が活発化する確率が高いといえるのです。

③ 災害復旧と追悼碑建立

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 それでは最後に、災害復旧についてまとめます。地すべりが発生した翌日の9月25日から数百人で遺体の発掘に着手しましたが、先述の通り、掘り出されたのは12人の遺体にとどまり、残り27人は残念ながら発見できませんでした。復旧工事の予算等について、『愛媛県史』の記述を引用します。

災害からの復旧

 県当局は、災害復旧のため、同年〔注.明治19年のこと〕10月臨時県会を招集し、土木費24万4,000余円と町村土木補助費2万5,600円を追加計上して審議を求めた。議会は、原案では到底民力が耐えられないとして土木費追加を15万4,000余円に減額、町村土木費補助を削除した。県知事関新平は、やむを得ずこれを認可したが、これでは施行上差しつかえが生じるとして国庫補助を内務省に求めた。議会もまた、満場一致で国庫補助請願の建議を決議した。内務省では、愛媛県の要請を入れて、同20年2月、「特別之詮議ヲ以テ工事補助トシテ金四万五千七百円可下渡事」と指令を発していた

『愛媛県史 社会経済6 社会』 ※ 下線は引用者による
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 国庫補助金等を活用しながら復旧工事は進みました。そして災害発生から4年後の明治23〔1890〕年、須沢川が流れ込む須沢地区集落の最上流端、海抜約61mの場所に追悼碑を建立し、亡くなった方々の霊を弔ったのです。

須沢追悼碑

One more thing…

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 石碑のある場所から100mほど登った場所には砂防ダムが設置されていますが、その工事中に土の中から1体のお地蔵さんが見つかったそうです。このお地蔵さんは、須沢追悼碑の横に改めて設置され、碑とともに自然災害で亡くなった方々の霊を弔い続けているのです。

【須沢追悼碑周辺の風景】

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 この自然災害伝承碑は、今から130年ほど前に大規模な山腹崩壊が起こり、多くの方が犠牲になった土砂災害の悲惨な教訓を伝えるとともに、その時の災禍を忘れず、地域は大雨で大規模な土砂災害が発生するリスクがあり、土砂災害に備える必要があることを教えてくれています。

【参考】えひめ土砂災害情報マップ 警戒区域図


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 今回は以上です。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。内容についてご意見いただけるとありがたいです。

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