愛媛の『これ』は何だろう? 〜新居浜市中を走るコンクリート製の建造物〜
Erikoさん、今回は愛媛の『これ』は何だろう?新居浜市編です。上の写真中に矢印で示しているコンクリート製の建造物は何だと思いますか?
何だろう?もしかして線路の跡?でも、だとすると幅が狭過ぎますよね。
Erikoさん、惜しいですよ。これは線路跡ではありませんが、総延長が約10kmもあります。
約10km?そんなに長く続いているのですか?
地図上にこの建造物がある場所を示してみますので、地図を見てもう一度考えてみてください。
山から海の方に向かって延びていますね。新居浜市といえば別子銅山が有名ですが、それと関係がありますか?
はい、関係があります。これは別子銅山の遺構です。赤色の線の両端にあるものは何かを考えてみましょう。
線の両端にあるもの?先生、地図で確認してもいいですか?
どうぞ。まず線の南端にあるものから確認しましょう。
あっ、マイントピア別子だ!確かここは別子銅山の施設跡につくられたんでしたね。
【参考】マイントピア別子公式サイト
そうです。次に、線の北端には何がありますか?
こちらは住友化学の工場ですね。
そうです。住友は別子銅山の採掘を行っていた企業です。さて、両者を結ぶこの建造物は何だと思いますか?
採掘した鉱石を運んだとしか考えられない。でも線路ではないのですよね…。う〜ん、分かりません。
では解答です。これは「坑水路〔こうすいろ〕」と言います。
「坑水路」⁉︎一体何のことですか?
今回はそれを説明しましょう。
新居浜市中を走る坑水路
まずは「坑水」について知っておかなければなりません。Erikoさんはどんなものだと思いますか?
単純に考えれば、別子銅山の坑道から流れ出る水のことですよね。
はい。実はその水に問題があるのです。新居浜市ホームページには次のように記載されています。
坑水の特徴
坑内から排出される坑内水は、地表から浸透した水が含銅硫化鉄鋼と接触して強い酸性となり、銅や鉄などの金属を含んだ鉱毒水になります。この水を川に流すと土壌が汚染され、環境が破壊されることになります。
『新居浜市ホームページ』 ※ 太字及び下線は引用者による
そうか、環境破壊の原因となるのですね。
住友金属鉱山(株)別子事業所安全管理センターがまとめた「別子鉱山の坑排水処理について」によれば、別子銅山の坑水はpH2〜3の硫酸酸性水だそうです。
ということは、かなり強い酸性ですね。
別子銅山の採掘が始まった江戸時代においても、鉱毒水による被害が記録に残されています。
江戸期の「鉱毒水」
- 天明7〔1787〕年 農民による「口上之覚」(抗議文書)
- 寛政年間〔1790年代〕 『有方録』に。「国領川がいつも赤褐色に濁っている」との記述あり
- 文化元〔1804〕年 阿波藩から幕府へ被害の訴えあり。
川が赤褐色に濁っているなんて、今では考えられないですね。
そうですね。ですから、別子銅山の採掘をしていた住友は鉱毒水対策を昔から続けているのです。
住友による鉱毒水対策の歴史〔明治以降〕
- 明治17〔1884〕年 小足谷収銅所(吉野川水系):鉄スクラップによる置換反応
- 明治31〔1898〕年 小足谷収銅所にて石灰中和実施
- 明治38〔1905〕年 第三通洞〜瀬戸内海 16kmの木製・煉瓦製坑水路、途中3箇所(東平、黒石、山根)に収銅所を設置
- 大正12〔1923〕年 全坑水を第四通洞から排水 第四通洞〜山根収銅所〜瀬戸内海(10km)
先生、「中和」というのは理科の授業で習ったことがあります。
そうですか。その意味を再確認しておきましょう。
中和とは?
酸性の水溶液とアルカリ性の水溶液を混ぜたときに互いの性質を打ち消す反応のこと。酸性を示す水素イオンとアルカリ性を示す水酸化物イオンが結びついて、水になる。
そうでした。坑水に含まれる酸性の成分を打ち消すのですね。
その通りです。中和の化学反応式は次のようになります。
思い出しました。「住友による鉱毒水対策の歴史」によると、当初は小足谷収銅所というところで行っていたということですが、どの辺りにあったのですか?
開坑当初から銅の採掘が行われていた旧別子と呼ばれる場所です。地図で確認しましょう。
新居浜市南部の山中に立派なものが造られていたのですね。
そうですね。
しかし先生、これは現在新居浜市中を走っている坑水路とは違いますよね。現在の坑水路はどのような経緯で設置されたのですか?
はい。鉱山というものは鉱脈を掘りやすい上層から掘り進め、鉱脈が枯れてくると下へ下へと掘り進めていくのが常です。別子銅山も同様で、最初の坑口は標高1,000m以上の山頂付近に作られました。そして明治から大正にかけて、赤石山系の瀬戸内海側の北斜面に鉱脈に向けた主要水平坑道の第一通洞・第三通銅・第四通洞を設けていったのです。現在新居浜市中を走る坑水路は、第三通洞貫通後に設置されたものです。
なるほど。
先述の新居浜市ホームページには、次のように記載されています。
坑水の特徴
坑内から排出される坑内水は、地表から浸透した水が含銅硫化鉄鋼と接触して強い酸性となり、銅や鉄などの金属を含んだ鉱毒水になります。この水を川に流すと土壌が汚染され、環境が破壊されることになります。
このため、明治35年、標高750mの東平〔東平〕に第三通洞が貫通すると、東平-端出場-山根収銅所-惣開へとつながる坑水路を設け、安全な水に中和して排水しており、現在も第四通洞を経て鉱山鉄道線路跡の坑水路により排水されています。
『新居浜市ホームページ』 ※ 注釈、太字及び下線は引用者による
先生、山根収銅所の写真はありますか?
はい、撮影していますよ。
別子銅山記念館の近くにあるのですね。
そうです。山根収銅所の概要をまとめます。
山根収銅所の概要
- 明治38〔1905〕年に建設された坑内排水の処理施設。
- イオン化傾向の原理で、鉄と触れさせることで鉄の表面に銅が付着し、排水中の銅成分を取り除く。
- 現在2人の作業員が常駐し、点検・管理に当たっている。
【参考】別子銅山ガイドブック 山根収銅所
1905年建設ということは、今年で116年目ですね。今でも続いているというのは凄いですね。
坑内水の銅成分は無くなることがないので、排水処理を続けなければならないのです。ところでErikoさん、この収銅所では排水処理を確実に行うためにある工夫がなされています。上の写真から考察してみてください。
写真を見れば分かるのですね。だとすれば、ジグザグに水が流れるようにしていることが工夫なのではないですか?
その通りです。鉄に触れさせる時間を長くすることで、確実に坑水中の銅成分を取り除いているのです。なんと上方から下方まで流れるのに2〜5時間程度かかるそうですよ。
えっ、そんなにかかるのですか?
確実に銅成分を取り除くには、それだけの時間が必要なのです。排水処理がなされた坑水は惣開で海中に排水されています。
そうなのですね。
現在、別子銅山中の坑水は一旦第四通洞へ集められているので、第三通洞から第四通洞までの坑水路は現在使用されていません。しかし、施設の跡は山中に残されています。
煉瓦造りですね。
これは「坑水路会所」といって、坑内排水の流れる方向を変更する際に利用される設備で、「会所水留池」とも呼ばれています。
【参考】別子銅山ガイドブック 坑水路会所
かつてはここを流れていたのですね。
そうです。こうした工夫を重ねることで、環境破壊を未然に防いでいるのです。
素晴らしい取組だと思います。
私もそう思います。では最後に、新居浜市内各地に見られる坑水路のある風景を順番に見ていきましょう。
はい。ありがとうございました。
坑水路のある風景
1 マイントピア別子
2 内宮神社付近
3 山根町
4 西連寺町
5 土橋
6 本郷
7 横水
8 滝の宮町
9 西の土居町
10 星越選鉱場跡付近
11 新田町・磯浦町
先生、こうして順番に見ていくと、坑水路がどこを走っているのかがよく分かりました。次は別子鉱山鉄道の歴史を知りたいです。
それはよかった!では次回は別子鉱山鉄道の歴史を取り上げましょう。
はい、楽しみです。