愛媛の『これ』は何だろう? 〜御用櫃を頭に載せて行商していた女性たちの記憶①〜

Teacher

 Takashi君、上の写真は伊予鉄道郡中線の松前駅付近にあるガソリンスタンドに描かれた絵を撮影したものです。描かれた女性たちは何をしているか分かりますか?

Takashi

 桶を頭の上に乗せて歩いていますね。何だろう?

Teacher

 彼女たちは魚や煮干し、珍味などを入れた御用櫃〔ごろびつ〕と呼ばれる木製の桶やザルを頭にのせて、家々をまわり行商していた女性たちのことで、「おたたさん」といいます。

松山興産(株)ユーティーまさきSSの壁に描かれた「おたたさん」
Takashi

 「おたたさん」という名称はどのようにして付けられたんだろう?何か不思議な名称ですね。

Teacher

 Takashi君、いいところに気付きましたね。今回は「おたたさん」という名称の由来から始め、歴史に登場する「おたたさん」の話や行商の方法まで様々なエピソードを紹介していきます。それでは始めましょう。

Contents

  • おたたさんの由来 〜瀧姫伝説〜
  • 松山城築城とおたたさん 〜日招八幡神社のおとよ石〜
  • おたたさんと行商 〜地域の方の証言から〜

Part.1 おたたさんの由来 〜瀧姫伝説〜

Teacher

 下の写真は、松前港の風景を撮影したものです。夕暮れ時に撮影したのですが、なかなか綺麗でしょう。

松前港天保山の風景
Takashi

 本当に綺麗な風景ですね。港と波止、さらに大きな松の木が合わさって、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。

Teacher

 そうでしょう。この松の木がある天保山は松前の歴史とともにあります。松前町教育委員会が現地に設置した解説板を読んでみましょう。

松前町教育委員会が設置した解説版
Takashi

 重信川の流路を改修した足立重信が整備したのですね。朝鮮への出兵や砥部焼の搬出などもこの港から行われていたのか!歴史と伝統がある港なんですね。

Teacher

 その通りです。松山城を築城する前、加藤嘉明はここ松前に城を構えていました。東レの前には松前城碑が建てられていますし、筒井地区には城門の柱の跡も残されています。写真がありますので見てみましょう。

【アクセス】

松前城の遺構〔国土地理院電子国土基本図から作成〕
Takashi

 道路に丸い跡が残されているというのは面白い!でも、教えてもらわなければ門柱があった場所だとは気付きませんね。

Teacher

 確かにそうかもしれませんね。ちなみに砥部焼が松前港から搬出されていた頃の様子は以前取り上げました。時間がある時にもう一度読んでおいてくださいね。

「からつ」行商のまち、松前

Takashi

 分かりました。先生、「おたたさん」の話に戻りましょう。名称の由来は何ですか?

Teacher

 それを知るためには、松前港の場所をGoogle mapで見てみるのが一番早いです。松前港の場所が分かりますか?

【松前港天保山の場所】

Takashi

 先ほどの地理院地図と比較してみましょうか。あっ、松前港の場所に「瀧姫神社」があります。もしかして「おたたさん」という名称の語源となったのですか?

Teacher

 Takashi君、ご名答!松前町で語り継がれている話として、「瀧姫伝説」というのがありますので、紹介しましょう。

瀧姫伝説

 永承年間(1046〜1052)、京都の公卿清原朝臣の妹御多喜津姫(瀧姫)が身分違いの愛を遂げようとして罪に問われ、侍女3名と伊予国に流刑となり、松前の浜に漂着しました。漂着した瀧姫たちの身の上話を聞いて、人情厚い松前の人々は、いたく同情して、親切丁寧に世話をしました。瀧姫らも温かい松前の人々の人情に心動かされ、この地を永住の地と定め、自活の道を魚の行商に求めたと伝えられています。瀧姫は、平元結に銀のかんざし、どんすの帯を前結びにし、黒羽二重の紋服に裾をからげ、桶を頭上にいただいて、松前、松山城下を「魚いらんかえー」と売魚婦となって売り歩きました、滝姫の死後、松前の婦女子は、滝姫と同じ服装をして魚を売り歩くようになりました。これが「おたた」の始まりといわれています。

松前町公式ホームページ 瀧姫伝説  ※ 下線は引用者による。

【参考】松前町公式ホームページ 滝姫伝説 ※瀧姫の肖像画が掲載されています。

Takashi

 永承年間って、平安時代ですよね。瀧姫はかなり昔の方ですね。

Teacher

 そうですね。ちなみに、1052年には藤原頼通によって京都宇治に平等院鳳凰堂が建立されています。

平等院鳳凰堂
Takashi

 なるほど。

Teacher

 Takashi君、松前町公式ホームページの文章に「桶を頭上にいただいて」とあります。なぜそのようにしたのか分かりますか?

Takashi

 やはり運びやすいからではないですか?

Teacher

 確かにそうですね。しかし瀧姫が最初という訳ではないと思うのです。当時から行商は行われていましたから、京都にいた頃、瀧姫は行商をしている人を見たことがあると思うのです。Takashi君は「大原女」を知っていますか?

Takashi

 「おおはらめ」ですか?いいえ知りません。

Teacher

 画像で確認しましょう。

大原女〔イラストACからダウンロード〕
Takashi

 頭上にあるのは薪ですか?

Teacher

 はい。大原女とは、山城国大原(京都府京都市左京区大原)の女性で、薪を頭に載せて京の京都で行商する人のことをいいます。京都にいた瀧姫は、このような行商の女性を見ていたのではないでしょうか。

Takashi

 なるほど。それで、亡くなった瀧姫の霊を弔うために建てられたのが瀧姫神社だというわけですね。

瀧姫神社

【参考】松前町公式ホームページ 松前港と天保山

Teacher

 それだけではありません。お瀧姫を神として祀り、行商の安全と繁栄を祈願してきたのです。また、瀧姫と侍女らが亡くなると、松前の人々はその死を哀れんで4つの塚を造って手厚く葬りました。天保山とは別の場所に4人の霊を祀っている所がありますよ。

Takashi

 それは知りません。どこにありますか?

Teacher

 松前町東古泉にある「四ツ黒大権現」です。撮影しましたので、写真を見てください。

【アクセス】

Takashi

 御堂の中に綺麗な扇子がありますね。

Teacher

 そうですね。松前町教育委員会が設置した解説板に、創建の経緯が記されています。

四ツ黒権現社

場所 松前町大字東古泉 四つ黒

祭神 多喜津姫(滝姫)と三人の侍女

例祭 10月16日

 一説によると、平安末期の永承七年(1052)京都の公家の息女滝姫が、侍女三人と阿波へ渡ろうとして嵐に遭い、松前の浜へ漂着した。姫らは浜を永住の地と定め、自ら読み書きを教え、魚を行商して自活すること数十年。姫・侍女ら五十余歳を前後に相ついで病没したという。

 浜の人びとはその死をいたみ、東古泉の地に四つの塚をつくり手厚く葬った。四つ黒という小字の地名は、この四つの塚に由来する

 江戸中ころの安永年間(1775ころ)この地に新田を開いた十数戸の人びとは、四か所の塚の遺骸を一か所に合葬し、四ツ黒権現神社を創建し、鎮守社とした。

 他に滝姫堂(義農公園)、滝姫神社(天保山)がある。

Takashi

 この社は江戸時代に創建されたのですね。それにしても「自ら読み書きを教え」というところに、瀧姫と松前の人々との交流の深さが読み取れます。だからこそ、瀧姫を神として祀ったのだなあ。

Teacher

 その通りです。長くなりましたので、今回はここで終わります。次回は、「おとよ」というおたたさんについてのエピソードを紹介しますね。

Takashi

 はい。楽しみにしています。


松山城築城とおたたさん 〜日招八幡神社のおとよ石〜

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