伊予国における菅原道真の足跡をたどろう! 綱敷天満宮〔今治市〕と履脱天満宮〔松山市〕

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 今治市桜井にある綱敷天満宮と松山市久保田町にある履脱天満宮は、菅原道真の難破から始まったご縁でつながっています。今回は、両宮と菅原道真との関係を紐解くとともに、愛媛県に点在する菅原道真の足跡を紹介します。

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 まず最初に、菅原道真の生涯を確認しましょう。

 平安中期の学者、政治家。是善(これよし)の子で代々学者の家柄であった。文章(もんじょう)博士となった後、讃岐守(さぬきのかみ)となった。阿衡(あこう)事件の解決に努力して宇多天皇に信頼され、藤原氏を押さえるため、藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢(ばってき)された。899年藤原時平が左大臣になった時に道真も右大臣に任じられ、学者として異例の出世であったが、901年時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)(大宰府の現地での実質的な長官)に左遷され、そこで死んだ。894年遣唐使の中止を進言したことは有名。後世天満(てんまん)天神として全国的に信仰された。編著《日本三代実録》《類聚国史》、漢詩文集《菅家文草(かんけぶんそう)》《菅家後集(こうしゅう)》など。

『百科事典マイペディア』より  ※ 太字は引用者による。
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 文中の太字の箇所が、菅原道真が伊予国〔現 愛媛県〕において足跡を残した時期にあたります。大宰府に左遷を余儀なくされた道真は、船旅の途中で嵐に遭い、船は難破。里の漁師に助けられた地が今治であり、今治を発して向かった先が松山でした。さて、伊予国における菅原道真の足跡について一緒に確認していきましょう。

伊予国における菅原道真の足跡

① 綱敷天満宮と衣干岩

② 今治から松山へ 〜休憩した場所に残る腰掛石〜

③ 履脱天満宮と勅使橋 〜そして大宰府へ〜

① 綱敷天満宮と衣干岩

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 綱敷天満宮は今治市中心部から約6km離れた場所に位置しています。神社のある志島ヶ原は燧灘に面し、11ヘクタールの広い境内には約3,000本のアカマツやクロマツが群生していて、昭和16〔1941〕年に国の名勝に指定、後に「松原百景」にも指定された風光明媚な場所です。

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 綱敷天満宮と菅原道真との関わりについて、境内に設置されている「元県社 綱敷天満神社畧木記」から一部引用します。

 菅原道真公は、醍醐天皇の御代 昌泰4年正月25日(901年)にわかに大宰府へ左遷される。

 同年2月1日、十挺櫓の屋形船にて配流の旅へつかれた。その途中、予州の迫門(壬生川沖)において風波の灘にあわれ御船あぶなき折り、広川修善(当神社宮司の先祖)と里人が一行を助け、今の志島の東端に漕寄せ岩上に御座所を設けたが、咄嗟の事にて敷物がなく漁船の網を丸く巻き円座の替わりとした。(この古伝により「綱敷天神」という社名となる。)その時、菅公は濡れた烏帽子・冠・装束等を近くの岩上に干された。(後にこの岩を「衣干岩」と称す。)里人は折敷の上に鮮魚(小魚)をのせて献上し、御安泰を御祝いした。

 菅公は里人の厚意に感激され、自ら梶柄に荒々しく御尊像を刻んで姓名を告げ、「後日私が帰洛したなら、これを証として都を尋ねなさい。もし筑紫にて没したと聞けば、これを素波神と称し祭りなさい。」と申された。〔以下略〕

『元県社 綱敷天満神社畧木記』より
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 綱敷天満宮という社名の由来は菅原道真にあったのですね。ちなみに、神社から5分位歩いたところに、衣干岩〔えぼしいわ〕があります。

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 菅原道真は903年に大宰府で亡くなりました。その後、当時の郡司であった越智息利が小社を建て、残された御尊像を素波神(そばがみ)として祭り尊崇しました。これが綱敷天満宮の始まりです。このような由来がありますので、境内には菅原道真に関わるものがいくつかあります。

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 また、毎年2月下旬に観梅会が開かれ、この時期には紅梅や白梅を撮影するために多くの人々が訪れますが、これは菅原道真の飛梅伝説と深く関わっています。

 昌泰4年、時の右大臣であった菅原道真は、藤原氏の陰謀により大宰権帥に左遷されることとなりました。いよいよ故郷である都を離れる日、幼い頃より親しんできた紅梅殿の梅に、

   東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ

と詠いかけました。主人(道真)を慕った梅は、道真が大宰府に着くと、一夜のうちに道真の元へ飛んで来たといわれています。〔以下略〕

『太宰府市ふれあい館ホームページ』より

【参考】太宰府市ふれあい館ホームページ 飛梅伝説

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 各地の天満宮には梅の木が植えられていますが、このような由来があったのですね。さて、今治を出発した菅原道真は、途中で休憩を重ねながら松山へ向かいました。彼が休憩したと伝えられる場所には「腰掛石」が残されていますので、写真で確認しましょう。

② 今治から松山へ 〜休憩した場所に残る腰掛石〜

天満神社〔東温市志津川〕

【神社由緒】

 仁和4年(888)讃岐守として在任中であった菅原道真公が隣国風俗視察の際志津川に立ち寄られる。

 昌泰4年(901)正月道真公、九州筑紫へ左遷の際、再度志津川に来られ里人等と一宿を共にして名残を惜しまれた。この時、休息されたと云う「菅公腰掛け石」と伝えられる石あり。

 天慶5年(942)9月25日道真公を深く崇敬していた国司河野安家が太宰府天満宮より志津川に道真公の御分霊を勧請。伊豫志津川天神社を創建した。

 伊予天神二十五社の一つと称し、江戸時代には、松山藩主の祈願所と定め、久米郡御代官の御祈祷所と定められた、

『愛媛県神社庁ホームページ』より  ※ 太字は引用者による。

 【参考】愛媛県神社庁ホームページ 天満神社

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 「菅公腰掛け石」は境内の東隅にありました。撮影しましたのでどうぞご覧ください。

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 「しばしゐて やすらふ心しづ川の ながれ行く身は つくし野のはて」の句は、当地の里人との交流の際に詠んだものだそう。失意のもとにあった菅原道真にとって、彼らとの交流が一服の清涼剤であったことが「やすらふ心」という言葉に表れていますね。次の写真を見てください。

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 この石碑は明治35年5月に建立された「一千年記念碑」です。明治35年は西暦1902年であり、菅原道真の千年忌を記念して建てられました。同様の石碑は日本全国あちこちにあるそうです。

辰岡天満宮〔松山市北久米町〕

【辰岡天満宮について】

 旧北久米村の鎮守の神で、村人の氏神である。本社に関する記録に、天明5年(1785)「菅公御霊、鷹ノ子村三輪田播磨預り、祭祀9月25日、本社五尺ニ六尺、桧椽(ひのきたるき)三尺五寸、釣殿壱間四尺ニ貮間壱尺、神楽殿二間半ニ三間半、鳥居高サ八尺、境内東西弍拾壱間、南北五間」とある。本殿は、永年の風雨のため多大の損傷が酷く、南久米町の小倉宮大工により改築された。石段、鳥居、玉垣も一新された。境内に小社があり、奈良原神社と言われている。〔以下略〕

『ブログ EEKの紀行 春夏秋冬』より 

【参考】ブログEEKの紀行 春夏秋冬 久米地区の神社探訪2・辰岡天満宮 北久米町

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菅公腰掛石は、本殿左側に建つ鳥居をくぐり、岡を少し登ったところにありました。撮影した写真をご覧ください。 

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 ここからは現・東温市方面の風景を眺望できます。この地で菅原道真は、これまで自身が辿ってきた道を見たのかもしれませんね。どのような思いだったのでしょうか? 

③ 履脱天満宮と勅使橋 〜そして大宰府へ〜

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 履脱天満宮は松山市久保田町に鎮座しており、すぐ近くには松山空港があります。長保元年(999)に一条天皇が社殿を建立し、道真を祀って履脱天満宮と称したとされています。

「履脱〔くつぬぎ〕」という社名の由来とは?

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 松山市教育委員会が境内に建てた解説板に記載されています。引用してみましょう。

 『予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりげんしゅう)』に、「菅丞相が筑紫に左遷のとき、越智郡桜井浜に船を寄せ、陸伝いに当地に至り、沓を脱いで三カ年逗留した。頭三位中将が追立ての官人を連れ、都からやってきたので、道真公は西方の橋まで出迎えた。道真公は筑紫へ向かうことになった。〔以下略〕

松山市教育委員会が設置した解説板より抜粋 ※ 太字は引用者による。
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 「長距離を歩き、疲れたので靴を脱ぎ、その場所でくつろいだ」というのが「履脱」の由来です。結局、道真はその場所を気に入り、その後3年間も留まることになります。都ではあまりにも逗留の長い道真に対して大宰府へ向かうように促したそうです。頭三位中将らを道真が出迎えた橋は「勅使橋」と呼ばれ、神社の境内に安置されています。

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 久保田町が設置した解説板には、勅使橋がこの場所にされた由来が記されています。

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 都の催促を受けた道真は、天満宮の近くにある吉田浜から大宰府を目指して船旅に出ました。村人に対して道真が「今からこの地を出ます」と言い残したことから、この地が「今出」と呼ばれるようになったそうです。

写真は現在の今出港

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 いかがでしたか?今回は「伊予国における菅原道真の足跡をたどろう!」というテーマで、今治市・東温市・松山市に残る彼の足跡を紹介しました。これ以外にもたくさんの足跡が愛媛県にはあると思います。このことについてご存知の方は、コメント欄にてお知らせください。ここまで見ていただき、ありがとうございました。

【地図】菅原道真の足跡をたどろう!

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