二宮金次郎像 探索の旅 番外編Part.2 二宮金次郎像の銘文から学ぼう!

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 二宮金次郎像の銘文には「二宮尊徳先生幼時之像」「二宮金次郎像」のように氏名を刻んだもの「勤倹譲」「以徳報徳」「勤倹力行」のように二宮尊徳の教え等を刻んだものなどがあり、製作の際に著名な人物に揮毫を依頼しています。現在、銘文・揮毫者ともに確認できているのは以下の25件です。

氏 名確認数        揮毫した銘文と像の所在地
一木喜徳郎13以徳報徳
 西条市立橘小学校、  伊予市立中山小学校、中山町立野中小学校
 砥部町立砥部小学校、 大洲市立豊茂小学校、八幡浜市立川之石小学校
 瀬戸町立川之浜小学校、西予市立惣川小学校、宇和島市立三浦小学校
 宇和島市立立間小学校、愛南町立平城小学校
二宮尊徳先生幼時之像
 伊予市立伊予小学校、大洲市立柳沢小学校
齊藤  實二宮尊徳先生幼時之像
 松山市立久米小学校、大洲市立櫛生小学校、内子町立立川小学校
 三崎町立松小学校、 西予市立二木生小学校
喜   徳二宮尊徳先生幼時之像
 川之江市立葱尾小学校、内子町立内子小学校
以徳報徳
 伊予市立由並小学校
藤峰 正?勤倹力行
 松山市立粟井小学校
戒田 政之二宮金次郎像
 松前町立松前小学校
菅  太郎勤勉
 砥部町立高市小学校
沖田  孝勤倹譲
 大洲市立出海小学校
※ 令和3年8月18日現在のデータです
二宮金次郎像の台座にある各銘文
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 揮毫者では一木喜徳郎氏が一番多いようですね。ちなみに、氏名以外の銘文を集計すると、次のような結果になりました。

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 たくさんの言葉が銘文には刻まれていますが、「以徳報徳」が一番多いようですね。今回は、銘文に刻まれた文字から二宮尊徳の思想を学ぶとともに、銘文を揮毫した人々についてまとめたいと思います。それではご覧ください。

① 銘文から学ぶ二宮尊徳の思想

以徳報徳・報徳

〔左〕愛南町立平城小学校にて撮影 〔右〕松山市立桑原小学校にて撮影
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 二宮尊徳の思想や方法論のこと「報徳」と呼びます。「二宮尊徳の英知を未来にいかす 報徳博物館」ホームページに分かりやすい解説がありますので、引用します。

 これは、「万物にはすべて良い点(徳)があり、それを活用する(報いる)」という彼の思想に対して、小田原藩主・大久保忠真から「汝のやり方は、論語にある以徳報徳(徳をもって徳に報いる)であるなあ」とのお言葉をいただいたことによります。これら「報徳思想」や「報徳仕法」は、尊徳の子孫や弟子たちに受け継がれ、広まっていきました。渋沢栄一、安田善次郎、鈴木藤三郎、御木本幸吉、豊田佐吉といった明治の財界人・実業家や、松下幸之助、土光敏夫、稲盛和夫といった昭和を代表する経営者たちにも多大な影響を与えたといわれています。

「二宮尊徳の英知を未来にいかす 報徳博物館」ホームページより

【参考】二宮尊徳の英知を未来にいかす 報徳博物館ホームページ

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 「以徳報徳」および「報徳」の意味は上記の通りです。つまり、子供たちに「万物の良い点を確実に捉え、それを活用する生き方をしてほしい」という願いが込められているのです。

勤倹力行

松野町立松野西小学校にて撮影
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 これは「きんけんりっこう」と読み、「しっかりと働いて、質素に暮らしながら力の限り努力すること」という意味です。ちなみに、「勤倹」はよく働いて無駄遣いをしないようにすること、「力行」は力の限り努力することを意味しています。

勤倹譲

大洲市立出海小学校跡にて撮影
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 これも二宮尊徳の教えです。大坂石材工業株式会社ホームページの「社長ブログ」に、『二宮翁夜話残篇【43】』が引用されていますので、紹介します。

※ 『二宮翁夜話』は、二宮尊徳の門人・福住正兄が師の身辺で暮らした4年間に書き留めた〔如是我聞録〕を整理し、尊徳の原稿を記した書です。

 夜話俗43に、『わが道は勤倹譲の三つにあり。勤とは衣食住になるべき物品を産出するにあり倹とは生み出したる物品を費やさざるを云う譲とはこの三つを他に及ぼすを云う。さて譲は種々あり。今年のものを来年のために貯えうるも則ち譲なり。其れより子孫に譲ると、親戚朋友に譲ると、郷里に譲ると、国家に譲るなり。其の身その身の分限に依って勤め行うべし。

大坂石材工業株式会社ホームページの「社長ブログ」より

【参考】大坂石材工業株式会社ホームページの「社長ブログ」

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 これはつまり、「身の丈に応じた暮らしをし、他人のために尽くしなさい。」と教えてくれているのです。

孝百行之本

瀬戸町立田部小学校跡〔現 伊方町〕にて撮影
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 これは「こうはひゃっこうのもと」と読み、「孝行はもろもろ善行の基である。孝はあらゆる徳行のはじめである。」という意味です。


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 いかがでしたか。二宮尊徳といえば、道徳と経済の両立を説いた「報徳思想」を唱え、荒れてしまった農村の復興を指導した農政家・思想家です。彼の思想は、「自分の利益や幸福を追求するだけの生活ではなく、この世のものすべてに感謝し、これに報いる行動をとることが大切で、それが社会と自分のためになる」との考えに至ったところにその特色があります。一つ一つの言葉に二宮尊徳の精神が宿っていますね。続いて、揮毫した人物についてふれておきましょう。

② 銘文を揮毫した人々

一木喜徳郎〔1867〜1944〕

Wikipediaから引用(パブリック・ドメイン)〔元出典:歴史写真会「歴史写真(昭和8年6月号)」より〕

【人物】

 日本の内務官僚、法学者、政治家。帝国大学法科大学教授、貴族院議員、法制局長官、文部大臣、内務大臣、帝国学士院会員、宮内大臣、枢密院議長などを歴任した。天皇機関説を提唱して美濃部達吉ら後進の育成に務めたが、のちに天皇機関説事件において美濃部らとともに激しい批判にさらされた。父である岡田良一郎は二宮尊徳の弟子として報徳思想の普及に尽力し、地域の振興に務めた人物である。子である彼自身も父同様に報徳思想の啓蒙に尽力し、大日本報徳社の社長を務めた。

【参考】公益社団法人 大日本報国社ホームページ

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 お父さんが二宮尊徳の弟子で、親子で報徳思想の啓蒙に尽力したというのは凄い。彼が揮毫した銘文が一番多いというのも納得ですね。

【疑問】一木喜徳郎と喜徳は同一人物か?

【左】一木喜徳郎揮毫の「以徳報徳」(西予市立惣川小学校にて撮影)   【右】喜徳揮毫の「以徳報徳」(伊予市立由並小学校にて撮影)
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 同一人物であるかどうかは証拠となる資料を見出せていないので分かりませんが、筆跡は同じだと私は考えています。皆さんはどう考えますか?よろしければコメントを頂けるとありがたいです。

子爵 齊藤 實〔1858〜1936〕

Wikipediaから引用(パブリック・ドメイン)1910年頃に撮影されたもの

【人物】

 日本の海軍軍人、政治家。第1次西園寺公望内閣・第二次桂太郎内閣、第二次西園寺公望内閣、第3次桂太郎内閣、第1次山本権兵衛内閣で海軍大臣を務めたあと、ジーメンス事件により大臣を引責辞任した。総理大臣であった犬養毅が海軍将校らに依って殺害された五・一五事件のあと、第30代内閣総理大臣として前年からの満州事変など混迷した政局に対処したが、二・二六事件で暗殺された。

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 日本史の教科書にも記載されている人物ですね。彼と揮毫との関係について、Wikipediaに記述がありましたので引用します。

 斎藤は大変な筆まめで、贈り物に対しては必ずといっていいほど礼状を出していた。揮毫をよく頼まれたが、元来の性格のよさから断れず週末は別荘に籠もって筆を振るう日々だったという。自分宛書簡や書類をきちんと保存しておく性格で、選別はすべて自分の手で行っていた。そのため個人の詳細をきちんと把握しており、間違えるということがほとんどなかった。斎藤が整理・保管した書翰類は、大半が国立国会図書館に寄贈されており、近代史の貴重な史料となっている。

Wikipedia 斎藤実
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 彼が揮毫した五つの銘文のうち、昭和13年に寄贈されたものが二つ、昭和15年に寄贈されたものが三つです。彼自身は昭和11年2月に死去していますので、彼が揮毫した文字を相次いで使用したのですね。


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 いかがでしたか。銘文に刻まれた文字の意味を確認してみると、二宮尊徳の教えは現代の私たちにも大いに役立つ考え方ではないかと思います。時代に合わないという理由で撤去するのではなく、その言葉の意味をどのようにして子どもたちに伝えていくかを考えるべきではないでしょうか。このことについて、コメントを頂けるとありがたいです。宜しくお願い致します。

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二宮金次郎像 探索の旅 番外編Part.2 二宮金次郎像の銘文から学ぼう!” に対して2件のコメントがあります。

  1. 三好くにこ より:

    凄い量の探索になりましたね。お疲れ様です。
    どこかで、発表できますね。

    1. takeikenji2@me.com より:

      ありがとうございます。グループ「二宮金次郎銅像集」にお誘いいただいてから探索を始め、ようやくここまで来ました。背後から撮影したものが多いので難しいとは思いますが、写真展が開催できればいいですね。

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