自然災害伝承碑を訪ねて…⑥ 昭和21年12月21日発生、昭和南海地震等からの復旧の記憶Ⅱ・松山市北条
皆さんは上の地図記号を見たことがありますか?この地図記号は「自然災害伝承碑」といい、国土地理院が令和元年6月19日から地理院地図上に公開を始めたものです。「自然災害伝承碑」とは何か、国土地理院ホームページから引用します。
「自然災害伝承碑」について
◆ 過去に発生した津波、洪水、火山災害、土砂災害等の自然災害に係る事柄(災害の様相や被害の状況など)が記載されている石碑やモニュメント。※ これまでは、概念的に記念碑(ある出来事や人の功績などを記念して建てられた碑やモニュメント)に含まれていました。
◆ これら自然災害伝承碑は、当時の被災状況を伝えると同時に、当時の被災場所に建てられていることが多く、それらを地図を通じて伝えることは、地域住民による防災意識の向上に役立つものと期待されます。
『国土地理院ホームページ』より
この「自然災害伝承碑」の記載は国土地理院が全国の自治体と連携して進めていますが、各自治体からの申請があったものに限られています。そのため、記載されている数はほんの一部に過ぎません。そこで、取材中に撮影した自然災害伝承碑と罹災状況について、当ブログにて紹介していきたいと思います。
今回は、昭和21年12月21日に発生した昭和南海地震等からの復旧の記憶を伝える自然災害伝承碑を紹介します。
昭和21年12月21日発生、昭和南海地震等からの復旧の記憶 〜松山市北条探訪〜
今回紹介するのは、鹿島神社大鳥居の傍に建立されている「北温海岸防波堤竣工記念碑」です。
【アクセス】
昭和南海地震発生時の罹災状況について、『北条市誌』には次のように記載されています。
南海地震発生時の罹災状況
昭和21(1946)年12月21日未明、南海沖でマグニチュード8.1、震源の深さ約30㌖の大地震が発生した。県下では、21日午前4時19分頃震度4(中震)から5度(強震)の地震に襲われた。このとき本市では約60㌢の地盤沈下をきたし、以後海岸保全工事の必要を迫られる事になる。
『北条市誌』 ※ 太字・赤色は引用者による。なお、原資料では数字は全て漢数字である。
また、国土地理院の自然災害伝承碑の地図を見ると、この碑の写真とともに伝承内容が次のように記載されています。
北温海岸防波堤竣工記念碑 伝承内容
松山市堀江町から浅海町に至る約15kmの海岸は、標高3〜4mの石積堤防又は天然海岸で、度々高潮被害を受けてきたが、昭和21年(1946)12月の昭和南海地震により約60cmの地盤沈下が生じ、その後の昭和25年(1950)、27年(1952)、29年(1954)の相次ぐ台風により大きな被害を生じた。
『国土地理院・自然災害伝承碑の地図』 ※ 下線・太字・赤色は引用者による。
下線を引いた箇所について、かつての海岸の姿を昭和22年に米軍が撮影した航空写真で確認しましょう。
これらの写真は昭和22年3月及び4月に撮影されたものですから、昭和南海地震発生から3〜4ヶ月後の風景です。また、昭和25年・27年・29年の台風とは以下の通りです。 ※ 参考資料:『北条市誌』
- 昭和25年の台風:9月3日〔ジェーン台風〕、9月13日〔キジア台風〕
- 昭和27年の台風:7月2〜3日、7月10〜11日
- 昭和29年の台風:8月18日〔台風5号〕、9月13日〔台風12号〕、9月26日〔台風15号〕
本稿では、四国災害アーカイブス、Wikipedia及び『北条市誌』の記述をもとに、これらの台風による被害状況をまとめていきます。なお、昭和南海地震の被害状況については「自然災害伝承碑を訪ねて…⑤」にまとめていますので、そちらをご覧ください。
【参考】自然災害伝承碑を訪ねて…⑤ 昭和21年12月21日発生、昭和南海地震等からの復旧の記憶Ⅰ・西条市禎瑞
① 昭和25年9月3日、ジェーン台風による被害状況
ジェーン台風〔台風28号〕は昭和25年8月30日に硫黄島の南西海上で発生し、最盛期には中心気圧940hPa、最大風速50m /sにまで成長しました。台風の進路を確認しましょう。
日本国内における台風の進路は次の通りです。
- 9月3日10時 徳島県日和佐町〔現美波町〕付近に上陸、淡路島付近を通過。
- 9月3日12時頃 神戸市垂水区付近に再上陸。その後若狭湾へ抜け日本海へ。
- 9月4日 4時頃 北海道渡島半島南端に再上陸ご、北海道を縦断してオホーツク海へ。
ジェーン台風による影響は降水による影響よりも強風による影響の方が大きく、四国・紀伊半島の沿岸では35m /sの暴風が吹きました。これにより、旧北条市では洪水が発生しています。
【参考】Wikipedia ジェーン台風
ジェーン台風の従来からわずか10日後、新たな台風の襲来により、被害は甚大なものとなりました。キジア台風です。
② 昭和25年9月13日、キジア台風による被害状況
キジア台風〔台風29号〕はマリアナ諸島のサイパン島付近で形勢が始まり、9月7日に台風となりました。台風の進路を確認しましょう。
キジア台風は、9月11日に室戸岬の南方500km付近で中心気圧945mb〔hPaと同等〕、風速50mにまで成長しました。日本国内における進路は次の通りです。
- 9月13日正午 鹿児島県志布志湾の大隅半島付近より上陸。
- 宮崎県都城市付近を通過した時には中心気圧960mb、風速30m以上の勢力となる。
- 9月14日3時頃 九州地方を縦断して日本海へ抜ける。
- 日本海を東進して北海道の松前半島付近から再上陸。北海道を横断してオホーツク海へ。
- 9月15日 消失。
ジェーン台風の襲来からわずか10日しか経っていなかったことと他の要因が重なり、キジア台風は各地に大きな被害をもたらしました。「他の要因」を以下に挙げると…。
- 台風が通過したあとも低気圧による豪雨が続いた
- 1946年の昭和南海地震によって地盤が沈下したところへ高潮を受けた
各地の被害状況は次の通りです。
被害
九州から近畿にかけての17府県で家屋のほか船舶や鉄道にも暴風雨や高潮による被害が出た。死者30名、行方不明者19名、負傷者35名。家屋の全半壊・流失・破損は4,836戸、家屋の浸水12万1,924棟。田畑の冠水面積518.1ヘクタール。
広島県佐伯郡厳島町(現・廿日市市)の厳島神社では9月13日、高潮によって社殿が破損。山口県岩国市では9月14日、錦川の増水によって錦帯橋が流失した。
Wikipedia キジア台風
【参考】Wikipedia キジア台風
厳島神社や錦帯橋にも被害が及んだのですね。ちなみに旧北条市では、再び洪水が発生しています。
③ 昭和27年7月10日の豪雨による被害状況
この時の被害状況について、『北条市誌』は次のように記載しています。
昭和27年の水害
昭和27(1952)年7月8日以降、梅雨前線の北上に伴って県下に降雨が続いていたが、10日夕刻強い梅雨前線が中予に停滞して集中豪雨となった。東・中世地方では、11日朝にかけて100㍉以上の雨が降り、各地に山崩れ・堤防決壊等が続出した。本市の損害額は1億4,750万円にのぼったが被害の内訳は前表のとおり。
『北条市誌』 ※ 数字は、原本は漢数字表記。
上記「前表」というのは、「昭和27年水害の主な被害状況」というタイトルが付けられた表のことを指します。ブログ用に再作成しましたので、ご覧ください。
④ 昭和29年9月26日、台風15号による被害状況
この時の被害状況について、『北条市誌』は次のように記載しています。
昭和29年の台風15号
昭和29年9月、マリアナ諸島西方海上に発生した熱帯性低気圧は、21日台風15号となって北西に進み、26日午前2時頃大隅半島(鹿児島)に上陸。時速40㌔〜50㌔で宮崎・愛媛の両県を通り同日午前9時頃鳥取県から日本海に抜けて北海道方面に去った。この台風で青函連絡船洞爺丸が座礁転覆し、死者・行方不明1,155人を出す大海難事故が発生した。
県下では、26日早朝、強風に見舞われた。佐田岬での瞬間最大風速は54.6㍍を記録したほか、三津海岸では松山港検潮儀設置以来の高潮位となり、強風と高潮による大被害が生じた。本市の被害総額は2億8,240万円となった。
『北条市誌』
【参考】Wikipedia 洞爺丸台風
台風15号は、大海難事故を引き起こしたことから「洞爺丸台風」とも言われています。台風の進路を確認しましょう。
この時の旧北条市の被害は、昭和27年7月10日の時よりもかなり甚大なものでした。『北条市誌』に記載されている表「昭和29年の台風15号による主な被害状況」をブログ用に再作成しました。ご覧ください。
⑤ 終わりに
昭和南海地震による地盤沈下や度重なる高潮被害の経験から堅固な防波堤を築こうと護岸工事が始まり、昭和37年に完成しました。このことを記念して建立されたのが、「北温海岸防波堤竣工記念碑」です。
防波堤の上に登ってみましたが、本当に堅固な防波堤で、自分たちの生活を自然災害から守ろうとする人々の意志が感じられました。
こうした堅固な防波堤を築いてはおりますが、今後発生する南海トラフの地震による地盤沈下や津波による被害については日頃から想定しておかなければいけません。この碑はそのことを私たちに教えてくれているのです。
今回は以上です。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。内容についてご意見いただけるとありがたいです。