2021年1月25日 / 最終更新日時 : 2024年2月9日 takeikenji2@me.com 06松山市 松山電気軌道の廃線跡をたどろう!② 住吉町〜江戸谷 ① 住吉町停留所から新立停留所へ 【参考】廃線隧道【BLOG版】松山電気軌道跡①【江ノ口〜三本柳】 三津厳島神社の歴史 【参考】三津厳島神社 公式サイト ② 三本柳停留所付近 ③ 山西停留所付近 【参考】新田高等学校ホー […]
2021年1月24日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 松山電気軌道の廃線跡をたどろう!① 江ノ口〜住吉町 【参考】伊予鉄道の歴史⑤ 松山電気軌道会社との対立Ⅲ ① 三津浜港の変遷 ② 江ノ口停留所付近 【参考】伊予鉄道の歴史④ 松山電気軌道会社との対立Ⅱ 【参考】「野良学徒の歴史研究とブログエッセイ」三津浜稲荷新地(愛媛県松 […]
2021年1月23日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 伊予鉄道の歴史⑤ 松山電気軌道会社との対立Ⅲ ① 軌道敷設工事を始めたものの… 渡邊修〔1859〜1932〕について 【参考】データベース『えひめの記憶』地域学習教材資料館 渡邊修 福澤桃介〔1868〜1938〕について 【参考】Wikipedia 福澤 […]
2021年1月22日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 伊予鉄道の歴史④ 松山電気軌道会社との対立Ⅱ ① 高浜・伊予鉄道対三津浜の対立は政治闘争へ 藤野政高について 安政 3〔1856〕年 伊予松山藩士の子として生まれ、藩校明教館に学ぶ。 明治11〔1878〕年 法律学舎で法律を修め、代言人〔弁護士のこと〕の資格を取得し […]
2021年1月21日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 伊予鉄道の歴史③ 松山電気軌道会社との対立Ⅰ ① 三津浜と高浜 【参考】伊予鉄道の歴史② 路線の延長 当時は船が大型化しつつあり、そのような船が停泊できる港が必要だった。 興居島が自然の堤防の役割を果たしたため、高浜は台風等の影響をほぼ受けることがなかっ […]
2021年1月19日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 伊予鉄道の歴史② 路線の延長 路線延長の経緯 ① 高浜線 【参考】伊予鉄道の歴史① 伊予鉄道の創業と小林信近 【参考】『愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)』〔愛媛県生涯学習センターホームページより〕 【参考】『ニッポン旅マガジン』ホームページ 高浜駅 ② 横河 […]
2021年1月18日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 伊予鉄道の歴史① 伊予鉄道の創業と小林信近 ① 小林信近は、なぜ松山に鉄道を敷設しようと考えたか? 1842年 松山藩士の家に誕生 1860年 松平定昭の小姓となる 1873年 陶器製造業を始める。 1876年 牛行舎の社長となる。 1877年 松山米商会を設立 […]
2021年1月17日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 道後温泉 〜入浴客の激増にどう対応した?〜 ※ 道後温泉本館改築について知りたい方はコチラ → 道後湯之町初代町長 伊佐庭如矢の集客戦略に学ぼう!③ 道後温泉の増湯計画 ① 岩崎一高の苦心 【参考】Wikipedia〔岩崎一高の写真が掲載されています。〕 第二源泉 […]
2021年1月16日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 道後湯之町初代町長 伊佐庭如矢の集客戦略に学ぼう!③ 道後温泉の観光地化と集客戦略 養生湯を有料化する代わりに、町民用の無銭湯として「松湯」を、遍路や病人用として「薬湯」をつくります。 自分の給料をすべて改築費に充てる。 建設債権を発行して予算を捻出する。 一番町と三津口 […]
2021年1月15日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 道後湯之町初代町長 伊佐庭如矢の集客戦略に学ぼう!② 伊佐庭如矢、その生涯 【参考】「松山を見守る松山城」ホームページ 道後温泉の観光地化と集客戦略 ① 道後温泉の興隆 100年後までも他所が真似できないものを作ってこそ、初めて物をいうのだ。 ① 白鷺伝説 昔、足に傷を […]
2021年1月14日 / 最終更新日時 : 2022年9月14日 takeikenji2@me.com 06松山市 道後湯之町初代町長 伊佐庭如矢の集客戦略に学ぼう!① 【参考】正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 道後湯之町へ① 白鷺のオブジェはなぜ入り口の方を向いていない? 藩政時代の道後温泉 平屋の建物の左側に描かれている白くて丸いもの … 玉の石 平屋の建物の右側に描かれている […]
2021年1月13日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 今出へ④ 【参考】伊予絣の創始者、鍵谷カナのこと
2021年1月12日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 今出へ③ 叔父君 … 正岡子規の父、常尚の長兄で佐伯政房のこと。 鬼子母神 … 安産・子育〔こやす〕の神様。土居田町の善復寺境内にお堂がある。 保免の宮 … 保免西1丁目にある日招八幡大神社のこと。 土井田の社 … 土居田本村にあ […]
2021年1月11日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 今出へ② 用明天皇元〔586〕年 筑紫の宇佐八幡から八幡三神を勧請したと伝えられる。 元慶2(878)年 従五位の下の神階を受ける。 延久5(1073)年 源頼義により松山八社八幡の4番社に定められる。 慶長5(1600) […]
2021年1月9日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 道後湯之町へ③ 天智7 (668)年 斉明上皇の勅願により、伊予国司越智守興が創建したとの伝承あり。 平安時代中期 法相宗から天台宗の寺院となる。 正応5(1292)年 一遍の弟子仙阿により再興され、時宗の寺院として改宗。 建武元 […]
2021年1月7日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 道後湯之町へ① 明治22(1889)年 町村制施行により、温泉郡道後村の一部が温泉郡道後湯之町として発足 明治23(1890)年 伊佐庭如矢が初代町長に就任 大正12(1923)年 温泉郡道後村の一部を編入 昭和 7(1932)年 温泉 […]
2021年1月6日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 石手川堤へ③ ※ 注目!伊予鉄道横河原線敷設当時に建設された現役の橋 「焼場のわたり」… 焼場は火葬場のことですから、「火葬場へ向かう道」と訳せばいいでしょうか。 「監獄署」 … これは松山刑務所のことです。昭和40年代後半に現在 […]
2021年1月5日 / 最終更新日時 : 2022年10月24日 takeikenji2@me.com 06松山市 正岡子規『散策集』吟行の道をたどろう! 石手川堤へ② 「滝の観音」… 現在、雄郡公民館泉町分館がある場所に積石の祠に祀られた地蔵尊があった。『愛媛文化双書11 写真集 子規と松山』に写真が掲載されている。 「浦屋先生」… 浦屋雲林〔1840〜1898〕のこと。松山藩の祐筆役 […]